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小諸城 2 「長野県 小諸市」 [城]

「小諸なる古城のほとり 雲白く遊子悲しむ

緑なす繁蔞は萌えず 若草も藉くによしなし

しろがねの衾の岡邊 日に溶けて淡雪流る」


島崎藤村の 「千曲旅情の歌」 にも歌われた小諸城

も少し巡ってみましょうか (^o^)丿


本丸を下ると こんな看板
P9291284.JPG

2007年の大河ドラマ 風林火山は・・・えーと?

山本勘助に内野聖陽 武田信玄に市川亀治郎 でしたね!

あ! ここで懐古園の案内マップを
懐古園 地図 - コピー.jpg

看板の先には木谷という谷 天然の堀になっています
P9291285.JPG

左が本丸側 こちらも対岸と同様に急峻な崖です

この木谷を奥に進むと 前のブログの蕎麦屋 (入り口) となります

ちなみに 崖の上に見える建物は?
P9291286.JPG

富士見展望台からの眺め
P9291287.JPG

空気が澄んだ日には この辺りに富士山が見えるそうです

水の手展望台
P9291288.JPG

展望台から見えるは千曲川です
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ここは不明門があった所で
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城から落ち延びる時は ここを通って逃げ出す場所だったとか
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なんとなく道がある様な?
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水の手展望台から酔月橋を1枚
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奥で谷が二手に分かれますが 左手は地獄谷と呼ばれるそうです

木谷と同様 こちらも急峻な崖 (左上の東屋は 水の手展望台)
P9291295.JPG

という事で 城の左右と奥が天然の崖で囲われている

とても堅固な城なのであります (谷底を一周したかった!)

ちなみに この地形は田切地形と呼ばれ

浅間山の火山活動により 放出された柔らかい噴出物が堆積し

それを 河川が削って出来た地形だとか

軽井沢から小諸にかけて見られ 底の平らな谷地形が特徴らしいです

あ! 話が逸れました (汗”

再元された武器庫
P9291294.JPG

天守台に戻ってきました (天守台の手前は馬場です)
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それにしても 私でも登れそうな・・・!
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城内に一つしか無いなんて !!! それも 後から掘られた ???
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うぐいす石等 見逃がした場所もありますが とりあえず一周してみました

実は小諸城

城下町より低い位置にあるので 穴城とも呼ばれ
P9291306.JPG

停車場ガーデンから見ると 低いのが分かります
P9281159.JPG

えっ! ここもアニメの舞台 (/・ω・)/
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そして 名前が懐古園という事で

ゆめゆめ 金沢の兼六園や水戸の偕楽園の様な

庭園とお間違え無き様 (;´∀`)


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小諸城 1 「長野県 小諸市」 [城]

小諸城

今は 懐古園という名前で公園となっています

歴史は古いそうで 平安時代から鎌倉時代にかけて 木曽義仲の武将
 
小室太郎光兼が近くに居館を構えたのが初めだとか

その後この地の豪族 大井光忠が居館を鍋蓋城に改築 鍋蓋城の出城として

息子の大井光為が 現在の二の丸辺りに乙女坂城を構えました

戦国期には 村上家の所領となりましたが武田信玄により城は落城

山本勘助と馬場信房に再築城を命じ これが小諸城の原形とされています
  
そして織田 北条 徳川と目まぐるしく変わりますが

豊臣秀吉の家臣 千石秀久が城主の時に大改築を始め

息子の千石忠政の時代にほぼ完成 これが今の小諸城となっています

さて 先にブログにした大手門は
P9281161.JPG

しなの鉄道の線路を挟んで 反対側にあります
c_komoro_map_2.jpg

(黄色い線は 「しなの鉄道」 赤い枠は小諸駅です)

駅の高架橋か 停車場ガーデンの地下通路を通って行くと

まず目に付くのは三の門 (国の重要文化財)
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門の上部は徳川16代当主 家達が書の扁額だとか
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ここから先は 入園料500円 (JAF割引あり) となります

二の丸脇の石垣
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ちなみに この写真の左に下り坂 (木谷と言われています) があり

蕎麦屋がある前辺りから (ちなみに城内 蕎麦屋が数軒)

浅間山から噴出した 焼石を使った石垣が見られます
P9291304.JPG
 
この先は二の門跡

しっかりと食違い虎口になってますね
P9291275.JPG

二の丸は 乙女坂城があった場所

そして 関ヶ原の合戦に向かう途上の徳川秀忠が

上田城を攻める時に (第二次上田合戦) 本陣を置いた場所なんだとか
P9291276.JPG

北丸の弓道場
P9291301.JPG

不揃いの石垣が時代を感じさせます
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橋の写真はありませんが (取り忘れです ○o。.) 黒門橋から見た紅葉谷
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ん! 天気が良すぎて暗い地面や壁面が写っておりませんが

天然の堀となっており いざという時 橋は引き上げられ

渡れなく出来るそうです

橋を渡ると いよいよ本丸 今は懐古神社が鎮座しています
P9291278.JPG

山本勘助が愛用したとか
P9291279.JPG

この石で自分の姿を映した?らしいです ???

本丸の右奥には天守台
P9291280 - コピー.JPG

三層の天守は 寛永3年 (1626) に落雷で焼失してしまったそうです
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端っこから覗くと?
P9291282.JPG

ゾゾゾ ( ;∀;)

天守台からの眺め
P9291283.JPG

今の時期は 木々が生い茂って眺めは今一つですが

冬になれば周りの山々が きっとくっきり見える事でしょう

では 長くなりましたので
 
2話に分割します (^^)/

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龍岡城五稜郭 「長野県 佐久市」 [城]

臼田駅を下車

あれ! 案内看板がありません (''_'')

自分でプリントアウトした地図を頼りに目指すは?
P9070928.JPG


駅から徒歩で 15分くらいでしょうか

函館とココ 日本に二つしかない星形の洋式城郭で

慶応3年 (1867年)


(ちなみに松平乗謨は 陣屋格という事で天守閣等は造れず 

なので城郭の中は 御殿等の建物しか造れなかったそうです)

当時は幕府により 城を新たに造ることを禁止されていましたが
 
西洋の軍学に関心を寄せていた松平乗謨は特別に許可をもらい

フランスのボーヴァン将軍が考案したといわれる

稜堡 (りょうほ) 式築城法を用いて作られたそうです

こちらは城の脇にある であいの館
P9070945.JPG

ここで簡単な資料をもらい ちょい散策

駅から歩いてくると まずはココに着きます (であいの館の手前になります)
P9070929.JPG

ちょうど星の突先にあたりますが 左は道路 右は畑と民家になっており

まだ未完成な場所みたいです (未完成のまま 幕末を迎えたそうです)

左の道を行くと黒門 (たぶん)
P9070931.JPG

城内は現在 小学校となっています

であいの館の人いわく 授業等していますが 気にしないで城を散策して下さい

との事

この辺りから 堀を見る事が出来ます
P9070930.JPG

ちょうど星形の凹んだ部分ですね

堀 そして布積みの石垣の上に 五稜郭独特の武者返し
P9070932.JPG

武者走りが通り 土塁というのが分かるでしょうか?

大手門
P9070934.JPG

P9070935.JPG

説明看板の水色の所が 完成した堀
P9070936.JPG

大手門辺りの堀が一番広く 幅9.1メートルあるそうです
P9070937.JPG

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大手門脇 土塁の端の石垣部分
P9070943.JPG

ちょいっと 土塁の上を歩いてみました
P9070941.JPG

P9070942.JPG

この辺りに
P9070940.JPG

大砲を置くつもりだったのでしょうか?

実際 五稜郭は実戦上 極めて優れた城らしく

敵に対して死角が無く 十字砲火を浴びせられる事が出来
P9070933.JPG

また守りにしても 日本の城と違い門の数も多いので

味方の援護射撃を受けながら
 
どの方向からも 城内に引く事が出来るという利点があるそうです

城内にある田口招魂社
P9070939.JPG

写真はありませんが 唯一昔からある 「お台所」 が現存しています

ちなみに 参考として各稜角 (りょうかく 星形の頂点) の距離は

函館五稜郭は約300メートル フランスのリール市の城塞は約600メートル

龍岡城は 約150メートルなんだそうです


さて もう一つ龍岡城には 外城の北側の虎口の枡形が
 
石垣と共に良好に残されているという事で 行くつもりでした

ところが城を出た途端 急に雨が降り出し そして段々と強くなり

「参ったなぁ 小さい折り畳み傘しか持ってないし これじゃあ びしょ濡れだぁ ○o。.」
 
なんて思いながら ついつい駅方向へ戻ってしまい で 途中
 
駅まで5分ほどの所で思い出したのですが 後の祭り (/・ω・)/

せっかく行ったのになぁ (´Д⊂ヽ


余談ですが 龍岡城には函館五稜郭みたいな展望台はありません

全貌を見たいという方は近くの古城 田口城に登る事になります

(車でも登れるそうですが 詳細は定かではありません)
 
なのですが今の時代 グーグルアースが重宝します (^^)/
あ.jpg

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二本松城 (霞ヶ城) 2 「福島県 二本松市」 [城]

元々は山城だった二本松城

思ったより登りがきつく 息切れが止まりません ○o。.

木々の合間に やっと見えてきました

本丸
しらかわ にほんまつ 106.JPG

ここでは ちょっと変わった石垣を見る事が出来ます

本丸直下の大石垣
しらかわ にほんまつ 107.JPG
 
城郭石積み集団 穴太衆 (あのうしゅう) によって築かれた

二本松城で最も古い石垣の一つなんだとか

天守台
しらかわ にほんまつ 108.JPG

しらかわ にほんまつ 109.JPG

あ! この辺りの石垣は 復元らしいです

またまた ここにも
しらかわ にほんまつ 111.JPG

しらかわ にほんまつ 112.JPG

もちろん 天守台に上がりました
しらかわ にほんまつ 113.JPG

周りの山々の眺めが・・・なんとも \(^o^)/
しらかわ にほんまつ 115.JPG

こちらは安達太良山
しらかわ にほんまつ 114.JPG

雲があって見えませんが 頂上が ポコッ 凸

別名 乳首山 (ちちくびやま) とも呼ばれています

この日 天気はとても良かったのですが かなりの強風

天守台で 飛ばされそうな気がして焦りました !!!

城の必需品ですね
しらかわ にほんまつ 117.JPG
 
しらかわ にほんまつ 116.JPG

他にも見所はあるのですが 疲れたので駅に一直線

ちなみに

二本松城は日本百名城
 
安達太良山は日本百名山と花の百名山に選定されています

そして実は

二本松城は 本丸の直下まで車で行けるのであります (駐車場有)


では今宵の宿 岳温泉へ (^o^)丿

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二本松城 (霞ヶ城) 1 「福島県 二本松市」 [城]

それでは悲劇の城 二本松城へ いざ!

和菓子の店 日夏の左の道をしばらく行くと
しらかわ にほんまつ 093.JPG

しらかわ にほんまつ 178.JPG

通称 坂下門

初代藩主 丹羽光重が二本松に入府した際 大手門を造りたかったらしいのですが

財政難の為 実現出来ず

やっと9代目藩主 丹羽長富の時に完成したそうです

さぁ~て ここからは きっつ~い登り坂 (汗汗汗”””
しらかわ にほんまつ 094.JPG

そしてナント 登った分だけ一旦下り

(あ! 下った所に セブンイレブンがあります 小休止しました)

家と家の合間に見えてきました!
しらかわ にほんまつ 095.JPG


ココまで来るのに・・・息切れ ○o。.

二本松城

古くは応永21年 (1414年) に 畠山満泰が山城を築いたのが始まりだとか

畠山家

畠山義継の代に伊達政宗の父親 伊達輝宗を拉致

これを 伊達政宗が父親もろとも畠山義継と共に鉄砲で射殺してしまう

という 粟ノ巣の変の話が有名ですね

その後 伊達政宗の猛攻に耐え切れず 二本松城は落城

そして畠山義継の子 義綱は会津の葦名氏を頼りましたが

その葦名氏も伊達政宗に攻められ 実家の佐竹家に逃亡しますが

その途中に足手まといになるとされ 殺害されたとか

葦名氏も 畠山氏も滅亡してしまったそうな

なんとも 悲劇の城みたいです

さて やっと 三の丸高石垣の前に到着しました (疲”
しらかわ にほんまつ 096.JPG

ここまで 徒歩で20分弱 (息切れ 収まりません ○o。.)

二本松少年隊群像
しらかわ にほんまつ 097.JPG

↑ 平成8年に 寄付金により製作 ↑

箕輪門の前
しらかわ にほんまつ 098.JPG

箕輪門
しらかわ にほんまつ 100.JPG

× (バッテンマーク) は 進入禁止の意味ではありません

丹羽家の家紋です

合戦のあとで 血の付いた刀を袖で拭ったら

バッテンの様に血糊が付いていたので 豊臣秀吉から

「これを家紋としたが良かろう」

との言葉により この紋に定められた

も一つは

丹羽長秀の馬印 (大将の馬印) が 戦のあと短尺が散り

そして2枚だけが残り バッテン状に残っていたので

それが家紋になった

とか

それにしても石垣&松 立派なのであります \(^o^)/
しらかわ にほんまつ 101.JPG

しらかわ にほんまつ 102.JPG


戊辰戦争の際にここで
しらかわ にほんまつ 103.JPG

丹羽一学 服部久左衛門 丹羽新十郎の3人の藩士が自刃したそうです

ん? 掘り切り ???
しらかわ にほんまつ 104.JPG

城内の連絡通路でした
しらかわ にほんまつ 105.JPG

長いブログになってしまいましたが

次は いよいよ本丸で御座います (^O^)/

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小峰城 1 「福島県 白河市」 [城]

小峰城 白河駅のホームに降り立つと 目の前に鎮座しております

入り口はコチラ
しらかわ にほんまつ 018.JPG

ここ小峰城は14世紀後半 結城親朝が築城したのが始めだとか

名前が結城という事で 栃木県結城市の結城氏と親戚?らしいです

いつも通り 余湖くんのお城のページからお借りしました m(__)m
よこ 小峰.jpg

今残っているいるのは オレンジ枠内となります (寂”

東日本大震災の影響で 今現在も修復中
しらかわ にほんまつ 019.JPG

しらかわ にほんまつ 022.JPG

なので 見学出来る場所は限られます

桜御門脇の横矢をかけた石垣 立派 \(^o^)/
しらかわ にほんまつ 021.JPG

そして二の丸 広いです!
しらかわ にほんまつ 020.JPG

前御門と 本丸の三重櫓
しらかわ にほんまつ 023.JPG

絵図や発掘の成果をもとに 忠実に再現したとか

無料で中に入れます
しらかわ にほんまつ 031.JPG

入り口を入ってすぐに 修復の為の募金箱があったので少しだけ (^。^)

転げ落ちそうな階段 (怖”
しらかわ にほんまつ 028.JPG

人数制限あり

おっと ●~*
しらかわ にほんまつ 027.JPG

長くなりますので 2話に分けさせて頂きます

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唐沢山城 4 「栃木県 佐野市」 [城]

佐野藩主 佐野信吉の時 江戸で大火が起きました

この唐沢城から大火に気付いて急行し 消火作業に活躍したとされます

これが逆に 無断で江戸に参府したという事で 幕府に咎められたそうです

関ヶ原では東軍に属しましたが 豊臣家に縁が深い大名が

江戸の変事にすぐ気付き 急行できる存在が危険視され
 
佐野氏佐野藩は 廃絶させられてしまいました

とさ


さて唐沢山城 最後のブログです

御姫御殿 (右側) と北城 (左側) の境の堀
唐沢山城 さる 063.JPG

物置でしょうか? コンテナが置いてあります

ちなみに 北城は薮だらけ

更に 先に行くとキャンプ場
唐沢山城 さる 064.JPG

この辺りが城の端だと思います ここから戻り

武者詰などといわれる所を眺めながら
唐沢山城 さる 067.JPG

あ! この辺は奥に土塁がありますね

二の丸へ
唐沢山城 さる 068.JPG

ここもちょっとした くい違い虎口になっています

二の丸から本丸に向かう階段を登ると?
唐沢山城 さる 069.JPG

もしかして この巨石 上田城の真田石と同じ意味なのでしょうか?

それにしても本丸の石垣 立派です
唐沢山城 さる 070.JPG

んで 二の丸
唐沢山城 さる 072.JPG

唐沢山城 さる 071.JPG

石垣 妻と比べても高さが分かると思います
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続いては
唐沢山城 さる 074.JPG

唐沢山城 さる 075.JPG

帯曲輪
唐沢山城 さる 076.JPG

以前 アメーバブログにも書いた唐沢山城

そのまま転記しようかと思っていましたが 国指定史跡になったという事で

改めて訪れ 以前行かなかった最奥まで行き

記事にしたら4回にまでなってしまいました <(_ _)>

普段あまり運動等しませんので ちょっとした運動を兼ねての探訪です


<余談>

唐沢山神社の宮司さんは なんと 佐野家47代目の当主

世が世なら? お殿様~ \(◎o◎)/


この唐沢山城のブログを書くに当たり お世話になったサイトです




 
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唐沢山城 3 「栃木県 佐野市」 [城]

さて いよいよ本丸です

本丸脇の高石垣
唐沢山城 さる 049.JPG

関東では数少ない 石垣がある城なのであります

本丸には 唐沢山神社
o0800060012453711746唐沢山城.jpg

祭神は初代城主と云われる 藤原秀郷
唐沢山城 さる 051.JPG

唐沢山城 さる 050.JPG

幕には佐野家の家紋 三つ巴が写ってます
三つ巴.png

城の最後の砦ですので 周りには石垣が積まれています
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本丸のあとは いったん南城へ戻り脇道へ

脇道の途中には車井戸
唐沢山城 さる 057.JPG

今は枯れています
唐沢山城 さる 058.JPG

先に足を進めると
唐沢山城 さる 059.JPG

金の丸へ!
唐沢山城 さる 060.JPG

今は 金の丸ロッジがありますが

名の通り お宝蔵があったとされます

それにしても・・・このロッジ 使われて・・・る?

とある窓に こんな張り紙が !!!
唐沢山城 さる 061.JPG

禁断の覗き見 \(◎o◎)/
唐沢山城 さる 062.JPG

使われて無い様な ???

金の丸の隣には御姫御殿
唐沢山城 さる 065.JPG

説明看板等無かったのですが お姫様の住まいだったのですかね?

ちょっと前までは 唐沢青年の家があったそうです

北条氏 そして上杉謙信には10回以上も攻められながらも

一度も落城しなかった唐沢山城

なんとも堅牢な造りだったようです
 
― もう一回 続きます ―

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唐沢山城 2 「栃木県 佐野市」 [城]

<余談>

しょっぱなから余談なのですが

ます形に入ると なんとも松茸の良い香り (^^♪

ここには唐沢山荘があり
さの 052.JPG
 

そしてこの近辺 何故か ねこネコ猫 (=・ェ・=? ホエ
さの 062.JPG

さの 051.JPG

これは・・・眠り猫 ???
さの 053.JPG

車の前にも猫が (=・ェ・=? ホエ と鎮座しておりまして 帰りも大変 ●~*
 
余談は終わり

ここで城内図を
唐沢これ.jpg

ます形の奥には 今でも枯れる事の無い
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唐沢山城 さる 044.JPG

そして ここからは大手道
唐沢山城 さる 043.JPG

と・・・すぐに!
唐沢山城 さる 077.JPG

唐沢山城 さる 046.JPG

目が4つある訳では無く 一つ目堀から四箇所目の堀だから? みたいです

桜の馬場
唐沢山城 さる 047.JPG

馬の鍛錬場と書いてありましたが 私が思うに竪堀で

上から 下にいる敵に向かって守り手が急降下

えいっ! ( ゚ロ゚)ノ∝━━(゚ロ゚)━(゚ロ゚)━(゚ロ゚)━∈ サクサク串刺し三兄弟

そして

(o ̄ー ̄)o∮→ 弓矢攻撃! ( ̄ー ̄)o∫ シュッ ‥… →;゚o゚) グサッ!

と 私は思うのです

更に大手道を進むと南城
唐沢山城 さる 056.JPG

今は 唐沢山神社の社務所になっています
唐沢山城 さる 055.JPG

大正天皇が皇太子の頃 行啓されたとか (眺めが良いのであります)

この南城脇の階段を上がると
唐沢山城 さる 053.JPG

唐沢山城 さる 054.JPG

そして奥の階段を上がると
唐沢山城 さる 048.JPG

いよいよ本丸 \(^o^)/

― もうちょい続く ―

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唐沢山城 1 「栃木県 佐野市」 [城]

平成26年3月 国指定史跡に指定された唐沢山城 (からさわやまじょう)

城がある唐沢山は 標高247メートル
唐沢山城 さる 038.JPG

関東七名城の一つに数えられ 佐野市の郊外にあります

道路が2方向から通っていますが 家臣の屋敷があったらしい

この矢印の方向 (大手口) から行きました (もちろん車です)
からさわ地図.gif

ちょうど矢印の辺りが 家臣たちの屋敷だったみたいですが今は?

荒地や
唐沢山城 さる 040.JPG

介護施設が造られています
唐沢山城 さる 039.JPG

↑ この盛り土は遺跡では無く 介護施設の盛り土と思います ↑

昔は ここから登城したのでしょうか?
唐沢山城 さる 041.JPG

つづら折の急坂を登るとレストハウス (駐車場)
唐沢山城 さる 080.JPG

このレストハウスの直下に 上杉謙信が攻めて来た時に西日を反射して輝き

上杉軍の目を眩ませた? という 鏡岩があります
唐沢山城 さる 079.JPG

昔は道路を遮る様にあったそうですが 道を造る為に削られてしまったそうです

そして この鏡岩の反対側に大手門があったとか
唐沢山城 さる 078.JPG

ここ 何回か来た事があるのですが 国指定史跡になった という事で

石碑が新しくなっていました
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さて 駐車場の脇には
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くい違い虎口
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こちらが ます形
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「ます形」 の一画には
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さの 058.JPG

物見櫓があったとかで なんとも良い眺め ♪
さの 059.JPG

さの 060.JPG

この唐沢山城

延長5年 (927年) 藤原秀郷の築城とされます

一時廃城となりましたが 藤原成俊が再興し 佐野氏と名乗ったそうです
 
以上の話は 伝承だとか
 
― 続く ― 

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